恋の寿命

恋の寿命

日記

07.10

今週の少クラはハイハイの「Be my story」でスタート。

番組が始まると、ハイハイはステージの階段セットの一番上に並んで立っていたのだけど、それを目にしたとたん、紅白のステージに立つハイハイの姿の幻覚が見えて、心臓がどきどきした。思い浮かべたのは、SMAPの紅白での階段降り。SMAPの紅白と言えば階段降りが恒例で、毎年とてもかっこいいのです。時々ツイッターで「SMAP 紅白 階段」と検索をかけて動画を見るくらい(笑)優斗くんが好きな曲に挙げていた、この瞬間、きっと夢じゃないやMoment、Triangleなどなど。ただ並んで降りてくるだけなのにすごくグッとくる演出。今日の少クラを見て、いつかハイハイが大晦日に階段を降りてくる日が来るのかもしれないと、根拠なんて何もなくても、そう思った。

SMAPといえば、『俺たちに明日はある』という曲に「バラの花束が似合うのもいるのさ だけど似合わない 転がるように生きて」という歌詞がある。わたしはこの前のダウンタウンDXでバラだの雑草だのと聞いた時、ふとこのフレーズとSMAPを思い出した。この歌には「ドラマみたいなかっこいい生き方ができなくても、それでいいじゃない」というメッセージが込められていて(わたしの解釈です)、SMAPの歌は、俺明日に限らず、そういう風に人々(わたしたち一般市民)を肯定する歌が多い。それに対してハイは、喋っている時の雰囲気は若いときのスマに似ているなと思う部分もあるけれど(バラエティの組み立て方とかね)、楽曲に注目すると、自分たちが主人公になっている曲が多い印象。

このハイハイのすごいところは、“歌の主人公が彼ら自身である”という楽曲コンセプトが、彼らがよく言う「自分たちが楽しんでいるところを見てもらうことでお客さんにも笑顔になってもらいたい」というスタンスとマッチしていること。偶然でも戦略でもすごい…。しかもハイハイは、ジャニーさんによって運命的に集められてできたグループというより、ローラーができる子(仕事がもらえるよう個人的にこつこつ練習をした子)や、自ら入りたいと志願した子、メンバー自身の推薦で決定した子によってメンバーを決めていることからも分かるように、アイドルグループにしてはめちゃくちゃ自主性を持って生まれたグループだと思うんだよね。生まれからそうであるように、ライブにしても楽曲選びにしても、随所随所に彼らの意思が詰まっていることが分かる。だから、ハイハイ自身が歌の主人公になれるし、その歌を聴いてオタクも共感したり、感動したりできる。今日の少クラでの優斗くんの、「たーのしーーー!!!」に思わず笑顔になるように。

いつかハイハイがSMAPのように紅白の舞台で階段降りをすることがあっても、その演出から受け取るものはまったく違うものになるはずだ。スマは「圧倒的カリスマを持った、わたしたちに寄り添う代弁者」だったけど、ハイハイの場合は「ハイハイ物語の主人公たち」でしかないのだろうなって。どっちが良いとかでなくて(どちらも大好き)、比較することでグループの特徴が見えておもしろかったという話でした。

 

 

ブログのデザインを少し変えた。といっても、レスポンシブデザインにしただけなのだけど…。以前から、モバイル版で開いた時に月別アーカイブが表示されないことが気になっていたんだよね。自分で記事を探す時にも不便だったし、いつからどれくらい書いているのかが一目でわかった方が良いと思って。ちょっとは読みやすくなったかな?