わたしはいつも自分に自信が無くて、自分が感じたことを素直に書いてみても、後から「本当は間違っているんじゃないか」と思うし、ツイッターで誰かが遠回しに批判的なことを言っていたら「自分のことを言われているのではないか」とすぐに心がざわざわする。オタク向いてないな…。
それでも、正解のないエンタメを作る人たちが表現するものが大好きだから、自分が見て聴いて感じたものを、たとえ自信がなかったり、オタクとして悩んだりしながらも、自分だけは大切にしたいなと思っている。それが大前提での話。
ハイパラが終わった後、他担の友人から「ハイハイ担的にはどこが良かったと言われているの?」と聞かれた。質問の意図がよくわからなくて聞き返すと、「大体みんな沸くところは決まってるでしょ?この新曲が良かったー!とか」とのことだった。
そんな風に言われて初めて気づいた。わたしはハイハイの評判とか、いわゆる大きい声のオタクのツイート(フォロワーが多いだけでそう言われてしまうパターンもあるし、作為的に注目を集めるような書き方をするパターンもある)を、むしろ避けてきたような気さえする。それが正解なのだと言われているみたいで。自分がそれに影響されるのが嫌で。
だから友人から聞かれた時、わたしはその質問に答えられなかったし、ハイハイ担全体の評判ではなく、わたしの感想をまず聞いてほしかったなと思った。わたしがどう思ったのかを聞いてほしかった。
今回のハイパラで、猪狩くんは自身が作詞した新曲を2曲披露した。ENTERTAINERとKlaxon。どちらも、猪狩くんの才気煥発なところが見られるすごい曲。聴いた人は、歌詞から何かしらのメッセージを受け取るのではないかと思う。猪狩くんが込めた思いや、ひょっとすると猪狩くんが意図していなかった(あるいは無意識だった)気持ちなども。
創作物に込められた「メッセージ」はすごく複雑で多面的で、一通りの簡単な言葉では表せないものだ。だから人によって抱く感想は違うと思うし、わたしは部分的にでも自分が感じたことはなるべくそのまま言葉にして残したいなと思っている。わたしだからそう思ったことを大切にしても良いんじゃないかと。
ツイッターで「考察」が回ってくることがあるけれど、それを読んでみんなが「そういうことか!」と決めつけるのは怖いなあと感じる。自分にとって気持ちのいい物語を正解にする風潮。先に書いたように、創作物のメッセージはすごく複雑で多面的なものだから。誰かの「考察」によって、その曲イコールこういう背景があったというイメージがついてしまうことも危ない。そんな単純な話にしてしまって良いのかなあって。
わたしが評判を見ることを避けてきたのは、自分にもそれに影響を受けてしまう面があるのではないかと思っているからで、わたしとしては今はそこを克服したいなと思っている。今までは、自分の感想をこの日記などに全部アウトプットしてから他人のツイートを見ることで分けようとしてきたけれど、そんなことをしなくても、自分が最初に感じたものを敏感にキャッチして、その時の気持ちをなくさないようになりたい。