恋の寿命

恋の寿命

日記

12.12

心の中で思うことまで、他人が指図できるものではないことも分かっているし、そうして何十年も生きてきたことをここで変えるのが難しいということも分かる。だけど、それを他人から指摘された時に、「アンチが何か言っている」とそれをただのうるさい雑音として扱うのではなく、何がその人を傷つけているのかを振り返ってみてほしいんだ。

自分が気づかないうちにわたしも誰かを踏みつけているのではないか。無意識のうちに刷り込まれたわたしの当たり前が、誰かの生きづらさになっているのでないか。わたしもそんなことを考えながら生活している。

それでも、自分の倫理観に自信なんてものはない。だけど、そうやって考え続けることはやめたくないし、自分自身で気づくことが難しかったとしても、せめて他人の声に耳を傾けられるような人でいたい。声をあげる人を見て、めんどくさい世の中になったなあ、なんて言いたくない*1。だって絶対に、「わたしは面白かったから」「わたしは楽しかったから」「わたしは気にならなかったから」問題ない、ということにはならないから。それに、自分が傷ついた時、苦しんだ時、そういう風に一蹴されたらつらいじゃない。「別にわたしは気にならなかったけど?そんなことで傷ついているのが間違ってるんじゃないの?」。そんな社会で生きていくのは嫌だ。

だから今日も諦めずに考えなきゃいけない。

 

*1:最近、ネットでこういう言説を見る時、多くの場合はポリコレとコンプライアンスを混同しているのではないかと思う。