恋の寿命

恋の寿命

日記

8/31

▽8月31日。この夏は遠征が多かったおかげで今わりと深刻なレベルにお金がなくて、その現実に向き合った途端、周りが長期インターンに通ったり海外旅行に行ったりしているなかで、私は趣味に没頭し、そのうえ使うお金は現場そのもの以外に遠征費に取られる比率がまあまあ高くて、たった一度しかない20歳の夏に何をしているんだろう…と虚しい気持ちになった。私は自分の家のベットの上でごろごろしながらYouTubeにあがっている動画を見て、あーだこーだ言うだけでも全然楽しくて、それなら時間は消えるけど少なくともお金は残るのだから、趣味から離れられないならせめてそうすべきなのではないかって。まあ在宅でも多少の有料コンテンツへの課金はあるけれど、そんなもの交通費や宿泊費に比べれば微々たるものだし。なんかそうやって楽に楽しんでいればいいのになあと自分に対して思う。現場に熱心に通うわけではないけれどなぜかめちゃくちゃそれに詳しい人とかいるじゃないですか、私はああいうゆるおたになりたいの。これ最近の口癖。でもさ、知ったらその分現場に行きたいという思いが強くなってしまうじゃない。だって相手は実在するんだから。結局どれだけ好きで、ツイッターで愛を叫ぼうが、現場に行かないと、この目で見ないと、机上の空論というか、何を分かったようなことを言っているんだと思ってしまう。自分が何も知らないこと、見たことないことは私が一番よく知っているからその気持ちは誤魔化しようがない。現場に行ったからといって何か真実に近づけるわけでもないし、どこまでいってもオタクの言うことなんて架空の話なんだけど、それでも現場に行けばすこしだけ現実っぽくなる気がして。私が推しに対して「何か」言うことをすこしだけ許してもらえるような気がして。現場に行きたいと思う気持ちを抑えられなくなるのは、ただ「楽しい」だけではなく、そういった感情の存在も大きい。お金と時間はなくなるけれど心の余裕はできる。

インターネットのオタクの声を集めてそれをオタクを総括した意見みたいにされたくないし、それらを自分の気持ちだとも思いたくない。私には、私にしか感じられないことがあるはずだと信じているから、自分の目で見たいし、誰かの言葉に侵食されたくないの。

ってことで、9月も現場にたくさんいけますように。