恋の寿命

恋の寿命

日記

9/8

▽どうも、例の件をいまだ引きずっているファンです。

昨日、おとといはそれぞれ別界隈のライブに行っていたため(どちらもとても楽しかった!)昨日の夜は、その2日間分の動画やテレビ番組を見ようとわくわくしながら帰宅した。まずは金曜の少クラ。今週の少クラはハイハイの新曲披露があるのでとても楽しみにしていた。この夏の思い出をいっそう輝かせてくれる、今のハイハイにこれ以上ないくらいぴったりの素敵な曲だ。オープニングはすっかりおなじみになってきた優斗くんと大昇くんから始まり、一曲目コズメロが流れた。歌うびーの後ろにハイハイがいる。考えるより先に目が作間くんを探し、すぐに視線は作間くんに固定された。……のだけど。うまく言葉に表せないが、身体のなかに嫌な感じのする何かがあるような、身体の奥の奥の方にごちゃっとした重いものが沈んでいるような、とにかく私自身の心がざわざわといつもと違った、変な風だった。一瞬あれ?と思ったけれど、作間くんの顔を見て嫌な気持ちがぶり返すのなんて、原因はわかりきっている。

何度考えても私にはやっぱり作間くんが責められる理由が分からなかった。私以外のみんなが何を求めていて、何に怒っていて、何をもってそんなに偉そうに説教できるのか、さっぱり分からなくて、分からないのは、私が事をよく理解していないからだと思った。見当違いなことを言って白い目で見られるのは癪だなというのもあって、ネットに流れている情報を片っ端から集めた。作間くんのプライベートなんてどうでも良かったはずなのに、舞台上の彼まで悪く言われて意地になっていたのかもしれない。途中で自分は何をしているんだろうと虚しい気持ちになったけど、やめられなかった。パブサーチをするたびに目に飛び込んでくるのは、自分の好きな人のなにもかもを否定するみたいな大量の誰かの言葉。それらの言葉にいちいち傷つきながら、情報が錯綜するなか、ソースはどこなのか、どこから流れたものなのかをたどっていった。その結果何が真実かはわからないけれど(いくらでも嘘は言えるわけだから)、当事者らしき人と、流出源の人のそれぞれの言い分を確認することはできて、しかし結局彼女たちの話を聞いても、やっぱりどうして作間くんがこんなにいわれなきゃいけないのか分からないままだった。この風潮、空気が読めないまま、作間くんを見る私の心だけが傷ついて疲弊して終わった。これが数日前の話。

作間くんを見ても、顔を知りもしない人たちの批判や失意の言葉、聞こえないのに聞こえてくる嘲笑が、脳裏をよぎる。見なきゃ良かった。知らないままでいれば良かった。私なんてどうせ少数派なんだから、自分とは違う人もいるんだなあと最初から理解することなんて諦めれば良かった。と、後悔しても遅い。流出した写真を見た時よりも遥かにダメージが大きかった。

Eyes of the futureは見れなかった。今もまだ見ていない。楽しそうに笑っているところを見れば気がまぎれるかもと再生させた侍とハイのコラボYouTubeは、まっさらな気持ちになることこそできなかったけれど、なんとか最後まで見て、きゃっきゃ盛り上がる11人に癒された。

こんな状態でドリボに行くなんて大丈夫なのかなあと不安になった。

そして今日。うちのレコーダーは今日も朝から大忙しで、残量が減ってきたことに気づき、撮りためていた最近のWSを片っ端から編集した。そのなかに録画したまま編集も再生もしていなかったドリボ会見時の映像もあった。メインで写るのはもちろん主演の2人だが、優斗くんは大昇くんとともに会見にも出席していたし、VTRでは舞台上の映像も少しだけ映り、そこにはハイハイ全員の姿も確認できた。いるじゃん!と、いつものように再生速度を遅くして、たった数秒の写り込みを何倍にも引き伸ばして、ゆっくり時間をかけて見た。優斗くんの高いフライング、完璧に鍛えられた岸くんの後ろでボクシンググローブをはめたハイハイ、横一列に並んで歌う姿、真っ白の衣装、初めて見る髪色。帝国劇場の舞台はとても大きく見えて、目の前の仕事に取り組む彼らはなんだかいつにも増して眩しくて、そこには由緒ある劇場の神聖な空気が誰にも邪魔されず流れている気がした。そうするうちに、いつのまにか自分が自然に作間くんを見ることができていること、そしてシンプルにドリボの舞台を楽しみにしていることに気づいた。よ、よかった……。私普通にドリボ楽しみなんじゃん、心からほっとした。ドリボに行ってまでも、取り憑かれたみたいに暗い気持ちになったらどうしようと本当に不安だったから。ちょこっと映っただけのあの映像で、こんなにときめいた。私は大丈夫だ。早くドリボ見たいな。