恋の寿命

恋の寿命

日記

06.22

ず~っと胸の内にあったモヤモヤがようやく取れたのは6月に入ってからだったと思う。それに気づいた時、半年近くもかかっていたのかと驚いた。年が明け、また5人で活動しますと言われて、はいちゅーぶも復活して、少クラではおかえりの歓声をもらい、雑誌にも5人揃うようになり、何もかも元通りに……なんてことにはならなかった。わたしのほうが。

1月と2月は、4か月近くも待った2人がやっと帰ってきたと、久しぶりに見る5人揃った姿を、素直によろこんでいた。これで元通りだ!と。少クラで披露されたZENSHINを見た時はほんとうに嬉しかったし、わたしがハイハイと過ごした夏は嘘じゃなかったとちょっぴり泣いた。3月の現場も嬉々として申し込んだ。ライドオンタイムも2週とも見た。番組内で活動自粛について取り上げられると最初からわかっていたから、改めてダメージを受けるとかもなく、あんまり何も思わなかった。そうこうしているうちに3月に入り、コロナウイルスの影響でわたし自身の日常がすこし変わった。ハイハイのライブも中止になった。

これは後になって気づいたけれど、わたしは1月からずっと、その時その時で更新されたもの(はいちゅーぶとか、雑誌とか、少クラとか)は何とか目を通していたけれど、それを繰り返し見るとかはなかったし、ましてや過去のものを改めて振りかえろうなんて思いは頭の片隅にも無かった。それは、ハイハイとは関係なしに、自分の生活が忙しくてその余裕がなかっただけかもしれないし、わざと目をそらして他のことに注意を向けていたのかもしれない。わからないけど、3月に入る頃には、それすらできなくなり、前みたいにハイハイのすること成すことすべてが最高にかわいくておもしろくてかっこいい!みたいなテンションじゃなくなっている自分に気がついていて、ずっと、あれ?こんな感じだったっけ?と喉に何かつっかえているような、正体のわからない違和感があった。どうしてそんな風に思ってしまうのかはわからなかったけど、この違和感自体には覚えがあった。去年の9月3日から10日までの1週間、作間くんを見る時に現れたり、消えたりしていたアレ。好きなアイドルを楽しく見ているはずなのに、耳元で誰かにずっと悪口を言われているように感じたアレ。この感じ嫌だなあ…と思っているうちに、ハイハイを見ても、感想というのかな、「かわいい」でも「かっこいい」でもいいんだけど、なんかそういう気持ちが前より生まれなくなった。ツイッターで呟くことも、ここの日記で書くことも、頭に思い浮かばない。以前なら書いても書いても足りないくらい溢れ出ていたものが、ぴたりと止まった。

わたしは「サヨナラの方程式」もアニメのEDで流れているのを一度聴いただけだったり、3月末に配信されたHappy Liveも、そこで歌われた新曲「駆ける」も、最初の1回しか聴いていなかったりした。だから、そういう曲があることは知っているけれど、どんな歌なのかすっと思いだせない。ハイハイの新曲と聞けば、まっさきに思い浮かべるのは「Eyes of the future」だった。ハイハイはあれからもう5曲も新しい歌をもらっていたのに。ハイハイがどうとかじゃなくて、わたし側の気持ちの問題であることはしっかり言っておきたいんだけど、まあつまりは、時間が止まったまま動き出せていなかった。

新しいものを見ても、琴線に触れない。にぶってしまった。感情が動かないのってすごく不健康なんだなと知った。なかば事務的にハイハイが表紙を務める雑誌を予約したり、メンバーが出演する番組を録画したりしていた。数が多いアイランドTVは追いつかなくなっていた。前ならそんなこと絶対になかったのに。

わたしは文章を書く能力に秀でているってわけではない…むしろ下手な方だけど、文章を書くことも読むことも好きで、それらは、頭の中を整理して心を軽くするのに最も有効な手段だった。2,3週間くらい前、ストレス発散のために、何でもいいから長い文章を書きたくなり、何についてなら書けるだろうと考えた結果、推しについて語ることしか思いつかなかった。まだハイハイのメンバーを担当にすると決断できないでいる人や、今もハイハイのことがたまらなく好きだけどもっと好きになりたい人たちに向けて、ハイハイはこういうところが素晴らしいよって言うだけのブログを書こう、それなら書けるのではないか。伝記は数日に1回まとめて読み、買った雑誌は床に積み上げられたまま放置、少クラはほとんど未視聴(コロナの影響で総集編みたいな感じの内容だったし…)という状態で、まともにハイハイのことを追えていなかったのに、笑っちゃうけどハイハイのことを書くしか思いつかなかった。

箇条書きやメモ書きみたいな感じで、ハイハイの好きなところを書き連ねていって、それを根拠づけるエピソードを当てていった。わたしは自分の書く文章がいつもめちゃめちゃ主観的であることを知っているから、なるべく、メンバーの発言はそのまま書き、ニュアンスが変わらないように気をつけた。だからライブレポで読んだだけのものは書くのをやめた。大事に、大事に思いながら、へたくそな文章をひたすら書いた。

そうやってハイハイの好きだったところを文字にしているうちに、ハイハイ担としての自分が復活してきているのを感じた。自分が書いた文章に、あーわかるわかる、ほんとそういうところ最高だよね!と頷きながら、作業をした。過去のはいちゅーぶを見て、ほとんど新鮮な気持ちでけらけら笑った。今年になってから公開された5人での動画も、公開された時は自然に笑えなかったりしたのに、その時見たら、自分が何に引っ掛かっていたのかわからないくらい、ただ純粋におもしろかった。3人で活動していた時期の前と後で、区切り(感覚としての区切り)があると思っていたけれど、地続きだったと気づいた。そうして、やっぱりハイハイ愛しいなと感じるようになった頃、封印していた少クラのEyes of the futureを開けてみた。見る勇気が出たとかじゃなくて、「書く」ために「見ないと」って感じだった。でもそういう理由をつけてじゃないと、一生見られないままだったかもしれない。とにかく、そのようにして、10か月ぶりに、Eyes of the futureを見たのだった。

メンタルが復活しつつあった影響もあるのかもしれない。本当に、ただただ、5人がまぶしくてかっこよくて、久しぶりに余計な雑音が聞こえなかった。やっぱり素敵な曲だったし、素敵な5人だった。

2,3週間の時間をかけ、ブログが書き終わった。というか、遅くともライブ配信のある20日までには仕上げようと思っていたから、無理やり終わらせた。当初、自分が想像していたようなステマブログは書けなかったけど、わたしにはあれが精いっぱいかなと思ったので、あれはあれで良いのだと思うことにする。

そして夜。3月ぶりにハイハイのライブを見た。Eyes of the futureは少クラで見た時のものよりパワーアップしていた。2か月ぶりに履いたとは思えないローラーのステップ、きらきらした表情。作間くんの瞳には、ちゃんと未来が映っていた。優斗くんが「時は2020年」と歌い、なんだかやっと、ハイハイと2020年を迎えられたのだ、と思った。2020年に5人がEyes of the futureを歌う世界が、現実なのだ。これってものすごいことなのではないか。当たり前じゃない、と2回呟いて、これからもハイハイの夢を追いかけられることを幸せだと体中で感じた。

わたしは、HiHi Jetsのことが好き!やっと、それを堂々と言える。